本日の雑記:劇場版HF第三章

世間からちょっと遅れて観てきたぞ!
実際に観たのは数週間前だったけど、夏イベの感想が慌ただしくてなかなか記事が書けなかった。
今更感はやはり否めないが、せっかくなので感想を残しておこうと思う。

……ただし、今回の第三章については少し厳しいことも言うかもしれない(当社比)。
感動も感謝もあった上で、感じたことを素直に書いていく。気持ちのままに書いているので、結局纏まりはない。




まず……素晴らしい作品だった。極上の質、映像、製作者の愛。色々なものが詰まった最高の映画だった。
けどそれは「三作品すべてを通した」「HFファンとしての」感想であって、第三章個別に対しては大満足とまでは言い切れなかったというのが正直な私個人の意見でもある。

いや、メッチャ良かったよ!?
本当に最高だったし、関わってくれた人々全員に心の底から感謝している。HFファンを喜ばせてくれてありがとう。桜ファンを幸せにしてくれてありがとう。奈須きのこを救ってくれてありがとう……。感謝を口にし始めたら、マジでキリがない。

戦闘シーンを始めとする“動く”作劇は最高に魅力的だったし、静かな場面も息を呑むくらい美しかったし、声優陣の熱演っぷりには背筋が震えた。
『HF全編を、イメージ映像ではなく物語として描き切る作品』として、本作(シリーズ)を超えるのはまず不可能だろう。
熱と力の入れ方が狂気の域ですらあった。
観る側にすら精神力と体力が必要になるくらいなのに、観終えた頃には切なくも爽やかな気持ちになる……桜の時期にピッタリだったろう、素晴らしい作品だった。



……だけどやっぱり、第三章作品個別の『尺と密度』については……百点を捧げたい気持ちはあれど満点は断言できない、そんな感覚が今もなおある。
何度も繰り返してしつこいのだが、本当に素晴らしかったし最高ではあったのだけど、たとえば“ひとつの映像作品”としての個人的な好みを語ってしまうと、【HF第三章個別】よりも【Vita版HFオープニング】の方が好きだ、と思う。長さも違えば描き方も演出も全然違うので、並べて比較できるものではないのはもちろんわかっているけど……それでも、同じHF映画として第一章・第二章と比べた場合も、やはり第三章はちょっと評価が下がるかもしれない。


全三章で構成される最終章ともなれば、「やらねばならない」要素がともかく多い。
単純にHFルートの構成としても、見せ場が終盤に偏っているという根本的な問題が存在した。
それらの困難を綺麗に乗り越えられたかというと、やはり、難しかったのだろう。
イリヤが攫われる(オープニング部分)』からの『イリヤを迎えに行き、再会』の“間”の少なさとか、全体のバランス考えたらどうしようもねぇし!
どうしようもねぇけど、わかっちゃいるけど、でもやっぱりもうちょっと余韻が欲しかった……。


「ノベルゲームを映像化する」上で避けては通れないのが、細かな矛盾やハッタリの辻褄を合わせるのに大幅なエネルギーを必要とする点と、一人称視点のモノローグの描写が難しい点。
前者についてはかなり巧くいっていたと思う。代表的なのが戦闘シーンだ。オルタVSライダーの戦いは、そりゃ「大空洞頑丈すぎ」とツッコミたくなる気持ちがないでもなかったけど、前作のオルタVSヘラクレスに続いてハッタリと演出が効きまくっていた。これは許される過剰演出。(※個人の意見)

だが後者の件、士郎視点のモノローグがどうしても減ってしまう点は……かなり、キツかった。惜しかった。やりすぎても邪魔なので塩梅が難しいのはわかっているけど、もうちょっと欲しかった。
たとえばラスト、士郎がボロボロになっていることがかなり伝わり辛くなってしまった。トゲトゲしている以外は見た目だけだと元気そうに見えてしまって、ライダーの名前も思い出せずイリヤのことも……なあれらの場面の息苦しさが、完全に表現できたとは言い難い。桜のために全部使い果たすことを選んだ士郎の想いの強さだったり、そこからの「生きたい」涙やイリヤとのやりとりの美しさと悲しさだったりに、限界まで感情移入することができなくなってしまった。
イリヤで全力で泣く準備をしていたのだけど、泣きそびれてしまった……。


士郎のモノローグだったりイリヤや言峰の細かいシーンだったり、削りたくなかったであろうけど削らざるを得なかったものを限界まで減らした上でも尺は限られていて、一方でHF終盤の特徴としてシナリオや設定を語る上で避けては通れぬ“解説”パートが少なくなかったのも痛かっただろうと思う。
「とても良い台詞」や「素晴らしいモノローグ」よりも、「設定や背景を語る台詞」のほうが、最終作である以上どうしても優先せざるを得なかったんだろうな……と感じられて、苦労が伝わってくるほどに残念でもあった。
このあたり、第一章や第二章の方が明らかに余裕があったのだろう。第一章・第二章はひとつひとつのシーンを掘り下げた上に新たな印象を与えてくれるパートが多く存在したけど、第三章ではそれらの“余地”や“遊び”の少なさをしみじみ感じた。姉妹のポーカー回想と、エピローグの再構成くらい? ちなみにどっちも超良かったっす。
要するに……尺が、やはり、厳しかった……。四部作になれとまでは言わないが、あともう少し上映時間が長ければ、余白も肉付けも更に出来て『Heaven'sFeel第三章・120%』になっていたんだろうな~とつくづく惜しく思う。まぁそんなの、現実的には不可能だとわかっているけど、思ってしまうんだよ。



でも……や~っぱ素晴らしいところもたっくさんあったんだなぁ~~~~!!
限られた尺、映像化し辛い場面、色々なものを限界まで研ぎ澄ませて造り上げられたものだと十分すぎるくらい伝わってきた。
言峰VSアサシン(&臓硯)の場面は妻描写含めてスッゲー良かったし、セイバーの最期の声を受けた士郎の表情とか短時間なのに何もかも全部詰まっていたし、エピローグの再構成は細かいところまで絶妙だったし姉妹のフォローの手厚かったし、他にも沢山。ひとつひとつ触れていくとキリがない。
ああでも、メインヒロインである桜個人については今回比較的控えめにも感じられたのが残念ではあったか……。
ただHFの終盤っつーとイリヤや言峰に関して手を抜くなんて言語道断なので、結局は優先順位とバランスの問題。仕方ない。

振り返ってみると、HF三部作は『1・桜と愼二』『2・桜と士郎』『3・イリヤと言峰(と臓硯)』中心に描かれたような印象だ。
最後まで桜最優先で走り抜けるのもアリだったろうに、きちんとそこは「HFで描くべきこと」を重視してバランスを整えて締めくくったのは、今この瞬間では惜しく感じられても結果的には正解の選択だったようにも思う。
HFは桜ルートではあるけど、桜ルートであるのと同じくらいHFという物語であることこそが重要なんだろう。たぶん。桜がヒロインであることとHF全体の物語、どっちかに偏るわけにはいかなかったんだ。このあたりは魂で感じろ。


……考えが散らかってきたので、これくらいで〆よう。
制作発表された数年前、あの瞬間の熱量は今でも忘れない。TV版がUBWだと発表されて、そりゃそうだよなぁと思いつつもちょっとだけ寂しくて、そんなHF好きにとっての“福音”とも言えるような発表で企画だった。
ニコニコの生放送のタイムシフト、期間中繰り返し観ちゃったっけなぁ。
ってか、だらだらグダグダ語っちゃったけど、HFを最後にやったのも三年くらい前なんだよな……。ちょうどいい機会なので、またちゃんとやり直そう。

本当に楽しい時間だった。
改めて、ありがとうとおめでとう。