ランス10 プレイ日記85(完) 神も知らない未来





ランス10プレイ日記、最終回。















まるで昔のような、ランスとカオスのやりとり。
ここだけ15年前に巻き戻ったような、「心の友」という呼び名。

実際は、そんなに単純なものでも、わかりやすいものでも、簡単に割り切れるものではなかったはずの、この15年間。
ランスとカオスがそれぞれ味わってきた年月と、気持ち……。

それでも彼らは、振り向いたりはしなかった。
気負うものなど何もないかのように、悲しみも苦しみも無かったかのように、いつものノリで“ボス退治”をする。

……なんか、もう。
このあたりは、語れば語るほど無粋だって私も思っているし、触れていたらキリがない。
それでも止められない。心が動かされて、どうしようもない。











戦いを終えて、ランスは満面の笑顔を見せた。
「あなた」もよく頑張ったと褒めてくれた。
頭をグシャグシャと、乱暴に撫でてくれた。















父親然とした振る舞いをしたかと思えば、いつも通り「ご褒美タイム」にぴゃぴゃぴゃーと寝室へ去っていくランス。
その有様には、さすがのザンスや乱義も唖然とする。父の性格をわかっていたつもりではあったものの、想像以上だったのだろう。

馬鹿馬鹿しい結末、能天気でグダグダっとしたハッピーエンド。
だがそれが、望んでいた結末だった。
15年前に奪われた、大団円が、ようやく取り戻された瞬間でもあった。















とんでもない「オチ」に、笑うしかない者もいれば、納得できないと怒る者もいる。
そんな有様、全てが平和で幸せで、尊いものだと感じる。
誰もが生き生きとしていて、未来のことを考えていて、そしてやはり、笑顔がたくさんあった。















家に帰る。
全員がそれぞれ、旅の順序を逆に辿るように、居るべき場所へ戻っていく。
寂しくて、悲しくて、やっぱり寂しい。
そう思うのは、きっと旅が楽しかったからこそ、だろう。















……そして今更突っ込むのもどうかとは思うのだが、否長田君親友ルートの長田君との別れの雑さは酷すぎて笑える。
「ま、いっか」じゃないよ!
いいのかよ、って思ったしロッキーと被っちゃったよ!!

ここだけ驚くほど冷血エールちゃんになっちゃってて、仕方ないのだけれど寂しいような面白いようなどうでもいいような、なんともいえない気分になる。
長田君、ドンマイ。















そして……母クルックーと、エール。

全てが最初に巻き戻ったような我が家と、クルックーと、エールと、食事の風景。
食べながらおしゃべりが止まらないエールと、そんな我が子を優しく見つめて、話を聞いてくれるクルックー。

最後の質問への答えは、ひとつしかなかった。



























<ラストやその後についての考察>







第二部ラストの「オチ」や「真実」に関しては、ほとんどをプレイヤーの想像に任せたような形で幕を閉じている。
これから先、公式によって確定されることがあるか否かはわからないが、なんとなくハッキリ明かされることはないのだろうと個人的には想像している。
“神の知らない”という文は、そういう意図なんだろうと私は受け止めた。











なので、私も自由に想像し、私なりに考えを纏めてみる。

まず、エールがクルックーの“実際の”子供であり、ランスの遺伝子も混ざっているのは間違いがないと考えている。
行為を伴ったかは微妙だが、RA時代でも過去の女たちに冷たい凌辱をしていたらしいし、まぁ普通に可能性はある。
そうでなくとも、特殊なパワーごごごでそのあたりはなんとかなるだろう。

しかし、中身の判断次第ではエールは存在が消えてしまう可能性が作中で度々示唆されていた。
そのことから、生まれることあるいは生きることに“神の後押し”がある程度必要だったのは、間違いないようにも思う。











そして、どこまでがエールでどこからが「  」だったのか、という点。
私はネプラカスが言っていた通り、基本エールに「  」が混ざっていただけだと考えている。
意識や能力の一部分を飛ばして、遠隔操作……ですら基本的にはなく、遠隔同調といった感じだったのではないかと思った。
たとえば、選択肢なしで長田君を助けたのはエール自身の意思に思えるし、『選択肢』については、「  」の意思が反映されていた表現のように感じた。











最後にエールがどうなったのか。
ここは希望が大きいけれど、「  」の干渉が薄まって、普通の人間として生き続けているのではと考えている。

「  」の意思次第では消える可能性もあったのだろうし、それをリセットや乱義も不安視していた。
だが実際は「  」は満足し、エールと歩んだ冒険が楽しかったと前向きに捉えている。
お目こぼし、なんて言い方は嫌らしいかもしれないが、ともかく“ご褒美”としてのこれからの人生、くらいは当然与えられるように思える。

そもそも、あれだけかわいがっていたエールという弟(妹)が突然居なくなったりしたら、家族全員絶望ってレベルじゃあ無いしな。
クルックーの“我が子への愛”も、「  」に対してであり、エールという人間個人に対してでもあり、「  」の混じったエールに対してでもあり、全て含んでいるのだと思う。
だからこそ、母が愛する子を奪うようなことは、成長した「  」ならば、もうやらないのでは……という、希望的観測だ。











もちろん答えなんてわからない。
“神の知らない”で閉じられた物語の続きは、もう誰にも観測することはできない。

プレイヤーが眼に出来たのはエールの物語や世界の物語の結末ではなく、あくまでも「ランスの物語の結末」だった。
あっという間に描かれていく、ランスの人生。
ランスとシィルが、最後まで駆け抜けていった姿。一緒にいた姿。

スタッフロールの最後には、真っ暗な画面での「END」の文字があった。
これはランス10のエンディングである、というよりは、「ランスの物語のEND」「ランスとシィルの物語、ランスシリーズのEND」を表していると、私は思った。

最後の“オチ”については、「END」を挟んだ更に後に場面が続いている。
これは時系列を示しているというよりは、「オチは、ランスの物語と直接関わるわけではなく、ランスの物語の結末に関わるわけでもない」ことを示しているのかな……と、私には感じられた。







<最後に>







第一部の感想はこちらの記事、第二部の感想はこちらの記事で書いているため、今回は詳細は省く。

改めて書いても、おそらく同じ言葉の繰り返しになってしまうだろう。
もしくは、「感動した」「良かった」「泣いた」くらいの、小学生の作文しか書けないと思う。











ランスシリーズに触れて、本当に良かった。
ランス10がプレイできて、本当に幸せだった。

ランスが居たから楽しくて、シィルが居たから楽しくて、全てが楽しい素晴らしい経験だった。
味方も、敵も、なんだかんだで皆好きだ。かわいくて、格好良くて、魅力的で、いつだって感情を動かされるキャラクターばかりで、そんな世界だった。

この素敵な結末を目にできて、幸せだ。
寂しくて悲しくてたまらないけれど、泣くのも忘れるくらい、嬉しくて胸がいっぱいて、どうしようもない。

本当に本当にありがとう。
今までも、これからも、大好きだ。